第51号より
真我
人間は誰しも幸せを求めています。
病気が治ったらどんなにいいか… 貧しさから脱却して裕福になりたい… 人間関係を改善したい… 子供がいい子になってくれたら…といった数限りない悩みの種を解消しようと努力を続けています。
でも、時には速く改善したいと焦るばかりに、その努力の方向を間違えて脱線し、とんでもない方向へ進む場合もあるのです。
では、どうしたらその方向性を間違わないで済むでしょうか?
それは「悩み」と言うものの意味を知る事から始まります。
天爽会で何度も申し上げている因果応報の法則(善因縁も悪因縁も自分に返って来る)により、前世や今世で自分が作った悪因縁が自分の元に返って勉強をさせられます。
言葉を換えれば苦しみとなって我が身に降りかかってきます。
「貴方は人間として勉強不足だった為、これと同じ(か、それ以上)の苦しみを人に与えましたよ」と、自分が勉強不足だった部分を指摘されるのです。
ですから、どの部分が勉強不足だったかを知るのは、現在の苦しみの中からです。
つまり「悩み」は勉強不足のやり直しです。
この法則を真摯に受け止める事が出来ると、「悩み」に「ありがとう」という感謝の言葉が素直に出るようになります。この言葉が心から出たら一気に問題は解決に向かうのです。
余談になりますが、今、五日市剛著の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」が大ブームになっています。どんな言葉かと言うと、難(悩み・苦しみ)があった時に「ありがとう」、いい事があった時に「感謝します」と声に出していうのだそうです。これを実践することで多くの人の悩みが改善しているのだそうですが、これも法則と合致しているからに他なりません。皆が普通に実践しているようで、実際は難(悩み・苦しみ)に「ありがとう」などと言える人は滅多にいません。法則を知らなくても言動が、合致していれば自然に運命が好転して行くものなのです。
さて、今回のテーマの「真我」は本当の自分・本来の自分と書きます。
「真我」の部分をイメージしていただくのはとても難しいのですが、自分の魂の中心にある愛と叡智に満ちた部分の事を言います。
神様の求められておられる人間らしい本来の自分がそこにはあります。
「本来の自分」… 自分の「天命」が宿る場所とでも言ったらいいでしょうか。
前述の如く、私達を人間として神様がこの世に送り出し、問題を与えて下さるのは「本来の人間らしい姿」になるまで自分磨きをして欲しいからです。
丁度「宝石の原石」の曇った表面を研磨して輝く宝石に仕上げる様に、様々な失敗を通して学び → 償いをし → 成長する、という過程を経て「本来の自分・天命に沿った自分」に巡り遭う為です。
この「本来の人間らしい姿」に近づこうと努力する、つまり、人間らしい行動を続ける事は、言い換えれば「人間である事の証明」を日々続けていく事でもあります。
「人間である事の証明」とは具体的にどの様な行為を言うのでしょうか?
天爽会本部に来られて玄関に掲げてある「人の道」を読まれた方も多いでしょう。
「人の道」の実行はまさしく「人間である事の証明」の実行と言えます。
難しい事のようですが、内容は至ってシンプルです。
要は「難(悩み・苦しみ)が勉強不足の部分である事を知って、謙虚さと勇気・愛を持って人様に尽くしましょう。」という事です。(実践は確かに難しいですね。)
その努力の過程で誰しも間違いなく「本当の幸せ」を得る事が出来ます。そして同時に真我の光(波動)が自分自身に良い影響を与え「天命」らしきものがおぼろげながらも分かって来るようになります。
ここまで来れば磨かれた魂によって、自分が岐路に立った時、左右どちらの道を選ぶべきかが自然に判別出来るようになり、悩みも迷いもぐっと減るのです。
そして、喜びに満ちた毎日を送れるようになります。
唐突ですが、貴方の「宝物」は何ですか? 家族・友達・資産・宝石等のコレクションでしょうか?
しかし、貴方の宝物が何であっても、私達が霊界に行く時には何一つ持っていく事は出来ません。築き上げた財産も全て手放し、大切なお子さんやお孫さん達とも別れて一人で霊界に旅立つのです。
霊界で役立つものは唯一つ、魂だけです。何度も生まれ変わって磨き上げて来た(もしくは曇らせてしまった)魂の価値だけです。
人の道の実践をし、霊徳を積んだ方は御自分が霊界で高い地位に配属されるだけでなく、子孫の手助けさえも出来るようになります。
しかも未来永劫に亘ってその価値は消える事はありません。
これ程、尊い宝があるでしょうか?
「ありがとう」と実際に声に出すのが実践であるように、「人の道」も出来るところから体を動かして(実践して)、自分も家族も周囲の方達をも救う力がある又とない素晴らしい「宝」を、是非手に入れて下さい。